03★11(FRI)
寒い朝です。
東日本大震災から5年が経ちました。
犠牲者のみなさまのご冥福をお祈りするとともに、避難生活を余儀なくされている方々が一日も早く普通の生活が送れることを願います。
5年前の3月11日は富岳太鼓コンサートの2日前でした。急遽公演を中止。チケットの払い戻しやいろいろなことにキャンセル料が発生し大きな赤字を出してしまいました。
しかし、メンバーはめげずに立ち上がりました。
震災の体験を風化させないためにも当時の様子を振り返ってみたいと思います。
まず私たちが行ったのは、支援物資の調達でした。

現地ですぐに必要な、水、毛布、紙おむつ等の提供を職員を通じて発信。

仕分けして、被災地へ向かう御殿場市の支援トラックや日本財団の支援トラックに依頼して現地に届けて貰いました。

そして一度は中止になったコンサートをチャリティーコンサートと名称を変え急遽5月3日に開催しました。
これにも、会場を快く提供してくださった裾野市民文化センターさん、音響照明のアスさん、舞台監督をかって出てくれたワンテンの岩田さん、カメラマンのユーフォトの鈴木さん、無償でポスターを作ってくれたヱビス印刷さん。その他多くのボランティアに支えられコンサートは実現しました。

チケットの売り上げと募金は50万円を御殿場市の社会福祉協議会を通じて被災した福祉施設へ。
そしてすぐに役立て欲しいという思いから、現金100万円を手に岩手県陸前高田へボランティアを兼ねてメンバー5人で出掛けてきました。

これから先は震災から2か月たった5月11日の陸前高田市の街の様子です。

ここは海から3キロ以上離れた場所。津波は川をさかのぼってここまで来たのです。

警視庁の捜索隊です。

3階建の学校の屋上まで津波にのまれ教室は素通し状態です。津波の高さは軽く10メートルは超えてます。

がれきの中から家族の手掛かりを探す人たち。胸が痛くなりました。

線路もこの通り。

僕たちが2度出演した陸前高田日本太鼓フェスティバルの会場となった市立体育館。

唖然!

想像を絶する光景が次々と目に飛び込んできます。

そして僕のカメラがとらえたミラクルな1枚。写真に和太鼓が写っているのがわかりますか?
右下のオレンジの重機の左です。この写真がもとになり、太鼓はがれきとして処理されず、町内の太鼓団体の元に帰ったそうです。

奇跡の1本松です。復興への希望です。

まだ復興は終わっていません。
そして、私たちの住む場所も同じ災害にいつ見舞われるかわかりません。
今日は一日、東北のことを想いながら生活しようではありませんか。
14時46分 黙祷