11月15日(木)今朝7時、自宅の外気温は10度でした。確実に冬に向かってます。
今日は七五三。そしてボージョレ・ヌーヴォーの解禁日。
午前0時に乾杯した人いますか。
先日、浅野太鼓文化研究所より季刊誌の「木立」が送られてきました。
前回の「クローズアップこの人」で
私、山内強嗣が取り上げられたのを覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、
今回は、第20回の障害者大会を掲載していただきました。


太鼓財団の塩見理事長もそうですが、この大会は私の母、
富岳会会長の山内令子が始めたと勘違いしている方が多いようです。
こ実はこの大会を発案し、計画を立て、資金を集め、初めて御殿場市民会館で実行したのは僕、山内強嗣です。この時、「障がい者の太鼓チームが本当に集まるのか」とか、「もし事故があったらどう責任をとるのか」と前理事長は賛成よりむしろ反対派でした。
まっ、美味しいところをいつも持っていかれることは慣れっこですが、僕が理事長になった今、真実も少しずつ伝えていく必要があると思います。当時、僕が太鼓の指導をしていた東海地区の恵那たんぽぽを始めとする4施設と、公演活動を通じて知り合った甲州聾唖(ろうあ)太鼓さんや助六太鼓の聴覚障がい者チームに声をかけ、国立中央青年の家に、1泊2食付きで1人2千円の宿泊交渉をして、市内の企業からは1口1万円の協賛金を100社にお願いし、集まった百万円の運営資金で行ったのが第一回の前のプレ大会です。富岳太鼓のメンバーの力を借りながら協賛金のお願いに毎日歩き回ったことや、資金がないので、持ち込みのお酒やつまみで参加チームと開いた交流会。そして何より、終わったあとの別れ際、「また来年もやれるといいですね」という参加者の言葉に背中を押されて、プレ大会を含んで21年続けてきました。来年は倉敷です。また多くの仲間たちに会うのが楽しみです。
浅野太鼓文化研究所理事長の浅野昭利様、木立編集長の小野美恵子様いつも気にかけて下さってありがとうございます。
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