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2017年 05月 31日
05☆31(水)
本日、5月31日、早朝5時に富岳太鼓竜神組のメンバー4人と、引率の雷神組メンバー早野均、勝間田千寿子の計6人でタイの首都バンコックへ海外公演に出発しました。 ![]() あとは生水とタイ料理の食べすぎ、特にパクチー苦手な人は要注意ですよ。 カレー好きの早野君、タイカレー食べすぎないように・・・ 公演は金曜日と土曜日の2回。 帰国後の、みやげ話し楽しみにしています。 ・
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by fugakutaiko
| 2017-05-31 09:13
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2017年 02月 21日
02☆21(火)
少し心が落ち着いたのでブログに書きます。 親友が亡くなりました。 幼稚園から大の仲良しで、毎日遊んでいました。 小学校では一緒に空手を習い東日本大会にも出場しました。 中学はともにバレーボール部に所属し毎日クタクタになるまでボールを追いかけていました。 高校、大学は途切れたものの、社会人になってからも付き合いは続き、祭り好きが高じ、彼は自ら神輿の会を立ち上げ会長に、僕は富岳太鼓の代表として沢山の祭り、イベントを共に楽しみました。 そして今は三島と御殿場と活動拠点は離れてはいるものの、ロータリークラブの仲間としても活動する程、本当に気の合う無二の親友でした。 富岳会、富岳太鼓とも繋がりは深く、彼のふたりの子どもたちは、富岳保育園に通いました。 そして彼の作品が今も富岳会のあちこちで輝いています。 その代表作がこれです。全国行く所、行く所で大注目の富岳太鼓トラック2号。 このデザイン、製作を担当してくれたのが彼です。 彼は長泉町でサインズアースというデザイン看板の会社を経営していました。 ![]() 当然、富岳太鼓トラック1号も彼の作品です。 ![]() バックデザインは角印のような感じの文字を載せたいと、手描きのイメージ図を持って相談に行くと、 「おっ!それいいじゃん、そのまま使っちゃおう。」と、二人の合作で生まれたのがこれです。 ![]() 僕は彼のセンスが大好きで、エイブル富岳のカフェ、マハロの看板や ![]() 富士山マルシェのデザイン ![]() ![]() そのほか保育園の運動会の看板など、我がまま言って沢山の仕事をお願いして来ました。 ![]() 2月17日金曜日、地上5階の高さで作業中、誤って落下。 即死だったそうです。 2年前にやはり作業中に腕の神経まで切断してしまう大怪我をして、まだ完治はしてなかったはず。取り付けは若いスタッフにやらせればよかったのに… きっとこだわりの強い彼の性格。自分でやらなければ気が済まなかったんでしょうね。 昨年暮れ、12月13日に一緒に飲んだ時。今度、富岳太鼓のコンサートの舞台デザインを担当してくれる約束をしたのに・・・ 叶わぬ夢となってしまいました。 早すぎるよ。 もっと一緒に夢語りたかったよ。 また大騒ぎして飲みたかったよ。 一緒に舞台の仕事がしたかったよ。 隆 ご冥福をお祈りします。 一生忘れない ありがとう ・ #
by fugakutaiko
| 2017-02-21 12:19
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2011年 05月 31日
先週末予定していたイベント(富岳の園の運動会、エイブル富岳のわくわくまつり)が、異例の早さの梅雨入りと、季節外れの台風2号の接近で、ことごとく中止となり舞台裏はてんてこ舞い。
おまけに僕は26日の体育研修の講師の際、若い保育士連中と20年ぶりに跳び箱なんぞやったもんだから、足首と膝の関節がびっくりして炎症を起こしまして、今日現在やっと歩ける状態にまで回復しました。 巷では、「良純さんが宣伝している、コンドロイチンとかグルコサミンとか飲んだほうがいいんじゃない。」と言われているようです。早い話が関節老化現象ってことですよね。トホッ↘ てなわけで、陸前高田の最終報告が遅れてしまいました。 以上、言い訳。 陸前高田全国太鼓フェステイバルの実行委員長、けんか七夕太鼓の会長、ヤマセン醤油の社長の河野和義氏に義援金と支援物資を届け、滝沢君主催の炊き出しをボランティアで手伝い、今回の目的を果たし、僕らは陸前高田を後にする。 ![]() イベント会場から再び瓦礫(がれき)の街へ ![]() この瓦礫の山が撤去されて、また元の生活がこの陸前高田に戻るのは何年先のことだろう。 ![]() しかし、また200年、300年以内の単位で起こるといわれている三陸沖地震。 同じ場所に街をつくれば、孫、ひ孫の時代にまた同じ悲劇が繰り返されるかもしれない。 ![]() ある人は20メートルの津波が来るならそれ以上の防波堤を作ればいいという。しかし津波は我々の考える一本一本打ち寄せる波とは違い、水の塊が一挙に押し寄せるのだ。防波堤にぶつかった海水は後ろから押し上げられ、更に盛り上がり防波堤を乗り越えるだろう。 また陸前高田は漁業より海水浴やキャンプなど観光が中心で栄えてきた。高すぎる防波堤は街の景観を損ね、自然破壊にもつながる。 ![]() 河野さんは「震災前と同じ街を再び作ったって、また同じことが起こるだけだ。まったく新しい発想で、地震に強い、津波に負けない、未来につながる画期的なモデル都市を作らなければ。そして津波で破壊されたこの街の一部を、広島の原爆ドームの様に残して、人々の記憶から永遠に消えないようにすることが大切だ。」と言っていた。 そしてさらに「この震災を経験した人がいるこの街に、『国際的な防災大学』を作って、地震と津波の研究と災害に強い都市計画を研究、勉強する場所にする。」と自分の描く未来の話をしてくれました。 ![]() 人は逆境を乗り越えさらに強くなる。 人生にKO(ノックアウト)はない。立ち上がる限り負けはない。陸前高田の人たちはもう前を向いて歩き始めているのだ。 最後に、陸前高田の観光名所でおこった奇跡を紹介します。 陸前高田には『高田の松原』といって、海岸沿いに延々と広がるとても美しい松林の海岸がありました。 しかし津波ですべての松が根こそぎ倒されご覧の状態です。(写真下) ![]() しかしその中でたった1本、津波に耐えた松が残りました。 たった1本。まさに奇跡です。(写真下、瓦礫の山の向こうに見える奇跡の松) ![]() 陸前高田の人々はこの松を『復興の松』と名付け、自分たちの復興のシンボルにしています。 僕も現地まで行って確認してきましたが、まさに奇跡です。なぜこの一本だけが残ったのか… ![]() 奇跡は起こるのです… 現地から帰って来て、翌日、膨大な量の写真をプリントアウトし始めた時、僕にも奇跡が起こりました。 なんと、僕の撮った写真の中に和太鼓が写っていたのです。それも瓦礫の中に… 望遠で撮ったので現地で肉眼では確認できず、プリントして初めて確認できたのです。 河野さんにすぐに電話をして現地へ出かけていただきました。気仙町けんか七夕太鼓さん所有のものではありませんでしたが、町内会の大切な太鼓だったようです。 震災から2ヶ月後、地震にも、津波にも雨にも風にも。そして瓦礫撤去の重機の手にもかからず見つかったのは、まさにミラクル。(写真下、『奇跡の太鼓』写真右下のオレンジ色の重機の左)きっと誰かに見つけてもらいたくて叫び続けていたに違いありません。 ![]() 帰って来てからもう一仕事出来るなんて、ほんと行った甲斐がありました。 大切なものを一つ救えたのだから… 陸前高田は、東北は、日本は必ず奇跡をおこし、復興を果たすはずです。 信じています。その日まで、できる限り応援します。 ![]() 帰りに見送ってくれた東北の夕日はやけに悲しそうで、後ろ髪を引かれました。 「だいじょうぶ、また近々訪れますよ」 今回の陸前高田復興支援ボランティア報告はこれにて終了です。 多くの現地の写真を見て、その場しのぎでもどこかの国のリーダーのように、「被災者の仮設住宅はお盆までになんとかする」なんて無責任な言葉は吐けない状態にあることがわかったと思います。 一過性で終わらせず、東北の震災ではなく、日本の震災として。支援ではなく、一緒に復興する心で前進しましょう。 「one heart (心はひとつ)」忘れずに。 #
by fugakutaiko
| 2011-05-31 16:12
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2011年 05月 25日
市内の被害状況を視察した後は、高台にある陸前高田市営のオートキャンプ場『モビリア』で行われる、被災者の親子を対象とした炊き出し会場へ向かいました。(写真下、お昼の炊き出しに出来る行列)
![]() たまたまこの日(15日)に、知り合いの企画会社の方から炊き出しがある事を聞き、僕たちもお手伝いすることになりました。 下の写真はボランティアで駐車場整理に精を出す、早野君と出田君です。五十嵐君と鈴木君はさぼっていたわけではありません。たまたま写真に写らなかっただけです、念のため弁護。 ![]() 実はこの炊き出しの主催者は某有名人(一応アイドル?)。 公表すると女子高生や若い女性で会場がパニックになる恐れがあるので、名前は一切表に出さず親子限定400人で実施されました(感心しました)。 某芸能人は炊き出しテントの焼きおにぎりコーナーにいます。小さくて見えませんね。 ![]() その人は、タッキーこと滝沢君です。彼は先頭にたって炊き出しやってました。 でも子どもたちはタッキーより、セグウェー・・・ ![]() タッキーより、アスレチック・・・しかたないか。 窮屈な避難所生活強いられて、友達とも遊べないんだもの。大変な生活からから、いっとき開放されて、夢中で遊びまくっていました。 ![]() 僕もタッキーより、ボランティア・・・あたりまえか。 ![]() 『がんばろう!いわて・みやぎ』着て、頑張りました!!! ![]() 帰りにがけに、皆さんが笑顔で「ありがとうございました」、「楽しかった」と声をかけてくれました。 嬉しかったです。 ![]() そして山を下り、再び港町へ。 ついさっきまで大はしゃぎで遊んでいた子どもたちも、またこの光景を見ながら避難所や自宅に帰るんだと思うと、一気に現実に引き戻されてしまいました。 ![]() ![]() 海岸沿いは地盤が沈下して、海の中に・・・ ![]() ここは埋め立てない限り、もう永久に陸地にはもどらない。 ![]() そして街の中は瓦礫の山。 ![]() おびただしい数の自動車。これは車の持ち主の了解(廃車手続き上)が無ければ廃棄出来ないらしい。 本当に元の生活に戻れるのはいつになるのだろうか・・・・ ![]() あまりにも悲惨な状況の中でも、いくつもの希望につながるニュースは流れています。 今回お会い出来た河野さんも、社員を一人も解雇せずに会社再建を信じて走り回ってます。ヤマセン醤油が復活したら、富岳会でも取引をする契約も取り交わしました。出来る限り長期的に支援していきたいと思っています。 いよいよ、次回は最終回です。 最後は陸前高田に起こった奇跡。そして僕の起こしたミラクルを紹介します。 つづく #
by fugakutaiko
| 2011-05-25 17:59
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2011年 05月 23日
今日は富岳会の職員研修に、あのテレビでも有名な平林都先生が来園されました~。
![]() 『接遇、マナー』について2時間、熱い講演をして下さいました。 皆さん勉強になりましたか。平林先生お忙しい中、御殿場までありがとうございました。 ![]() さて私事になりますが、陸前高田の報告2をアップした後、心重たく、パソコンに向かう気力がパッタリとなくなりました。 しかし現地に行った者の義務として、現地の様子を皆さまに伝えなくてはなりませんし、復興までには計り知れない時間を要することを実感して頂き、長期的な支援活動の役に立つことを祈りつつ、コメントが少なくなるかもしれませんが、頑張って報告を続けることにします。 では報告2の続きから・・・・ 八木澤商店の河野さんの案内で、いよいよ僕らの車は、災害復旧に向かう多くの作業車とともに陸前高田の中心街へ(写真下) ![]() そこで目にした光景は、廃墟と化した陸前高田の街。 テレビや新聞では、切り取られた一画面しか目にしなかったが、現場の真ん中に立って、その凄まじさに驚かされる。 ![]() 僕の周り360度、ぐるりと見回しても街が無い。半径1キロも2キロも何も無いのだ。 人もいない。 ![]() あるのは瓦礫(がれき)の、 山、 ![]() 山、 ![]() 山。 ![]() これは現実?夢?それとも映画のセット? 信じられない光景だ。 ![]() ここでの作業は重機以外は役に立たない。 手作業では支援隊もなすすべ無く、やれることといえば瓦礫の中から遺留品やアルバム、持ち主の特定できる貴重品などを探し出す作業ぐらいだ。しかしすべてを流された被災者にとっては大切な品物。河野さんの通帳も何キロも離れた対岸の街で見つかったという話を聞き、気の遠くなる作業だが大切な作業だと再認識・・・頭が下がる。 ![]() 高さ15メートルはあると思われる中学校も、屋上まで津波に飲み込まれ、校舎の中は全てさらわれて空っぽ。向うが透けて見える。 2ヶ月半前は、この校舎の中に子どもたちの笑い声が溢れていたはずなのに・・・ いまは何も聞こえない。 ![]() 消防本部の建物も、消防車もこの通り。これでは救助活動どころではない。 ![]() ここ(下)が、22年続いた『陸前高田全国太鼓フェスティバル』の会場の市民体育館。 あまりの変わり様に胸が痛む。またここに全国の太鼓打ちが集まりバチさばきを競い合う日が来ることを祈るだけだ。 ![]() ![]() ここ(下)が、いつも宿泊していたキャピタルホテル。外観は何とか保っているが、中は使い物にならないらしい。 前夜祭では陸前高田の太鼓仲間と、遅くまで太鼓談議に華を咲かせ、酒を酌み交わした。三陸の小ぶりの生牡蠣、そしてホヤの味は忘れない。あの楽しかった時間は必ず戻ってくると信じている。 ![]() 瓦礫の中から『思い出』を探す家族。わけもなく涙があふれてくる・・・ ![]() そして、市の中心地を後にしてボランティアで炊き出しを行う会場へ向かう。 途中の漁港の町も壊滅していた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 陸前高田の高台にある、市営のオートキャンプ場『モビリエ』。ここはまったくの無傷だ。 新緑の緑がまぶしい別世界だった。 ![]() 昼からここで、ある有名芸能人が主催する炊き出しとイベントが行われる。親子限定400人。混乱を避けるため主催者の名前は一切公表されておらず、参加者にもまったく知らされていない。 ![]() 「がんばろう!いわて・みやぎ」しっかりボランティアしてきました。僕の右肩奥に見えるブルーのシートが炊き出し会場。 ![]() 謎の芸能人が誰かは、報告4で・・・ つづく #
by fugakutaiko
| 2011-05-23 22:03
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